ある雨の日の話
「今日も雨かー……」
「梅雨だからしょうがないだろ。こんな時くらいおとなしく本でも読んでろよ」
「えー、つまんないなー」
しぶしぶながらもクルルは素直に部屋の隅にある本棚に向かっていった。
本を選びに行ったその背中に聞こえないように、バッツ達はこっそりとつぶやく。
「しばらく降り続いてくれた方がいいな。平和で」
「さすがに雨に濡れてまで暴れ……遊ぶ気は無いみたいだしね」
退屈を感じると強制的に発生するクルルの暇つぶしは世界を救った彼らにも脅威であった。
心に決めた目的があれば大概の事に耐えてみせるが、クルルの暇つぶしでは……まあ仕方ないだろう。
「あんまり溜め込まれて爆発されても怖いけどな」
「そういうのはほら、バッツの役目だし」
「ほら、じゃねえよ。何で俺なんだ」
「何で……？」
「……ああ、もうそれすら疑問に思うのか」
理由を探すなら、唯一の男だとか、最年長だとか、リーダーだからとか、いくらでも見つかる。
だがそういったことは関係なく、もう『バッツだから』という共通認識ができてしまっているのだ。
それは、バッツ以上の適役がいないからだろう。この世には。
「よし、決めた」
快活な声を上げ、クルルは一冊の本を手に戻ってきた。
その本に妙な不安感を覚え、バッツは椅子に腰掛ける前のクルルを呼び止める。
「クルル、何の本にしたんだ？」
「これ」
差し出された表紙には『雨でもできる！ 命を削るハードなスポーツ実践編』などと不吉な文字が見て取れる。
隅に小さく『注意！ 熟練者以外は本当に命を落とす危険があります』なんて書いてあったりもする。
「なかなか面白そうな本だな。ちょっと見せてくれないか」
「ん、いいよ」
（自称）さわやかな笑顔でバッツは本を受け取り、表紙を開きもせずに魔法の詠唱を始める。
クルルが疑問に思うよりも早く、バッツは頭上に本を放り投げ、魔法を放った。
「ファイラ」
「あー！ 何すんのさ！」
悲鳴で炎が消えるわけでもなく、一瞬にして本だった物は炭へと変わってしまった。
非難のこもった眼差しを向けるクルルに、あくまでも（自称）さわやかな笑顔のままバッツは話す。
「クルル、よく聞け。あの本には魔物が棲んでたんだ」
「魔物？」
「ああ、古代図書館で何度も見ただろ？ 危ないところだったぜ」
「そんな気配は無かったけど……」
非難のこもった眼差しは、疑惑の眼差しへと変わっている。
笑顔が崩れたら負けだとなんとか表情を維持しつつ、バッツは口先でこの場を乗り切る覚悟を決める。
「クルルが気づけないなんて、なかなか強い魔物だったんだな」
「そんならなんでファイラ一発で消えるんだろうね」
ちらっと助けを求めるように視線を投げると、タイクーンの姉妹は揃って見て見ぬふりをした。
わずかに殺意を抱くが、今はそれどころではない。目の前に不機嫌な悪魔がいる。
「……不意打ちだったからじゃないかな」
「斬ったんならそれでもいいけど、思いっきり魔法詠唱してたよね。
それに、私が気づけない魔物にバッツが気づけたっていうのも変な話だし」
「それはほら、危険に対する察知能力は俺の方が……」
「あとバッツが嘘つく時って私の目を見ようとしないし」
ずばり図星を突かれてぎくりと体が硬直する。良くも悪くも、正直な性格だ。
「目を見て話すと、その、あれだ、照れるから」
「……もうちょっとマシな言い訳は思いつかなかったの？」
「いや、その……わかった、目を見て話せばいいんだろ」
言って、じっとクルルの瞳を見つめるバッツ。わずかたじろぎ、クルルもその瞳を見つめ返す。
何も言わず、数秒が経過する。時計の針の音が妙に大きく聞こえる気がした。
「……なんで無言なのさ」
「……クルルが質問する番じゃないのか」
一秒、二秒。
「……そんなにじっと見つめられると話しづらいんだけど」
「……見ろって言ったのはクルルだろ」
また、一秒、二秒。
「……魔物なんていなかったんでしょ？」
「……いたんだってば」
一秒、二秒と、息が詰まるような緊迫した時間が過ぎていく。
ただそれは妙な緊張があるものの、決して不快ではなかった。お互いに。
「……ホントに？」
「…………ぅ」
今までの嘘を貫くためには、否定しなければならない。
それでも、クルルの言葉とその瞳に罪悪感を覚え、バッツは――
「まあまあ。燃えちゃったものはしょうがないわよ」
絶体絶命のピンチに割って入ってきたのはレナだった。
今の今まで傍観していたのに、なぜだか慌てたように急に介入してくれたのだ。
「燃えちゃったって言うか燃やされたんだけどね」
「だから魔物が……」
「バッツは黙ってて」
「はい」
クルルに気圧されるように姿勢を正し、その場に正座するバッツ。
「暇をつぶすだけなら他の本でもいいじゃない」
「別にあの本にこだわるわけじゃないけど」
二対一になって面白くないのか、はたまた違う理由か、クルルは明らかに不機嫌になっていた。
心なしか、レナを見るその目に非難の色が混じっているようにも見える。
その後二、三、言葉を交わし、説得されるような形で、憮然としたままクルルはまた本棚に向かっていった。
本棚から戻った時には、レナはもう元の場所へ戻りファリスと談笑していた。
どうせこっちの会話に聞き耳立ててるんだろうけど、とクルルは意地悪く邪推する。
「今度は何の本にしたんだ？」
「前に古代図書館で見つけた『必ず効く！ 厳選黒魔術ベスト20』」
思いつきだけで言った偽タイトルに、バッツの顔が思いっきり引きつったのがわかった。
思ったことが素直に顔に出るってこういうもんなんだなー、と変に感心する。
「冗談だってば。また燃やされるのヤだから普通の物語にしたよ」
「物語か……どんな内容なんだ？」
「なんだっていーでしょ」
「ああ、『エ』で始まるアレか」
「レディに何を言うか」
無遠慮な一言を放ったバッツに回し蹴りを浴びせ、悶絶したところに左ハイキックを叩き込む。
とどめのドロップキックで床の上を二転、三転させ、壁に激突したバッツを温かい目で見守る。
と、静止した後にバッツは平然と起き上がり戻ってきた。
「……私そんなに鈍ってるかな？」
「いや、もう本気で痛い。痛いから、そのハンマーは床に下ろしなさい」
「こんなにあっさりと復活されると自信がなくなるよね」
「……お前はツッコミに何をかけてるんだ」
「人生、とか？」
全力の蹴り技コンボでいくらか鬱憤が晴れ、ようやく溜飲が下がった。
ただでさえ天気が芳しくないので、精神的にも体力的にもストレスを感じているのだ。
「まあツッコミは置いといて。その本の内容は？」
「有名な物語のはずだよ。バッツもタイトルくらいは知ってるんじゃない？」
表紙を見せるとバッツは、ああ、と理解の声を上げた。
「聞いたことあるな。確か、村の少女が王子様と結ばれる話だっけ」
「ストーリーをばらすな！」
さっきのリベンジとばかりに初撃から一撃必殺級の打撃をお見舞い――
――しようとした初動に合わせ、バッツは身体を寄せて間合いを外した。
それは、お互いの息が届くほどの至近距離への移動。
「ちょ……近い近い！」
「この至近距離なら打撃は無理だろ」
「そうだけど、そうじゃなくて……」
「あんな大振りじゃ間合いを外すのは簡単だしな」
間合いを外されたせいで動揺していると勘違いしているのだろう、バッツは。
いや、勘違いしててもらってかまわないけど、こうまで気づかないのは男としてどうなのか。
「体格差があるから投げや関節技は効かないぞ」
「……それはもういいから、とりあえず離れろい」
いろんなものをあきらめて、クルルは拳を密着させた状態から一気に打ち抜いた。
その小柄な体からは想像できないほどの重い音がして、バッツはその場にうずくまるように倒れる。
俗に寸剄とかワンインチと呼ばれる技法である。
「ぐぅ……まさかこんなパンチが……」
「油断するからだよん」
いつもこんなだから誰も何の進展もあるわけがない。
今の関係が続くのが良いと思っていたけど、最近はそれで良いのか疑問に思いつつある。
「ちょっと本の内容について口を滑らせただけなのに……」
「十分問題だよ……まったく、読んだことない本だったらどうするのさ」
「……おい待て。ってことは読んだことあるのか」
「何回か読んでるけど？」
あっさりとした物言いに、ダメージを忘れたかのように勢いよくバッツが跳ね上がる。
「だったらどこに殴る必要があったんだよ！？」
「いやもうなんかいろいろと腹が立って……」
「？」
もちろんそんな事を言ったって伝わるわけもないし、伝える気もないし。
「ともあれ、殴られた分の仕返しはさせてもらおうか」
「どうする気？」
挑発ではなく、ごく純粋に疑問が口から出た。
まさかバッツが自分を殴るとは露ほども思えなかったのだ。
「あとで飯でもおごってもらおう」
「それはいつもの事……いや、それくらい別にいーけどさ」
ついつい口を滑らせそうになり、慌ててレナの方に目を向ける。
幸いギリギリの発言というわけでもなく、特にこちらの発言を気にした様子はなかった。
少し意識しすぎてるかな、とクルルは自省する。こういうのは過剰に意識するのも良くない。
「でも、雨が止むまでは外に出られないけど」
「別に急がないさ。時間はいくらでもあるし」
「……バッツが言うと深いよね」
「ん？」
「なんでもないよ」
先のことに不安を感じないのは、バッツの長所なのか、短所なのか。
自分の将来について意識し始めたクルルには、少しうらやましく思えた。
漠然とした将来図を設計図に直そうとして、その問題の多さに頭を抱えた。
クリアしなければならない壁の高さ、避けて通れない関門。
考えれば考えるほど、期待よりも不安が大きくなっていった。
それでも、希望がある。自分の望む将来は、輝いている。
「雨はそのうち止むもんね」
独り言のようにつぶやいて、手元の本を開く。
将来の夢をかなえた少女の話。いつか自分の夢も、かなうと信じて。
「……同じ話を何度も読んで楽しいか？」
時間にしたらほんの一分ほどだろうか。
読書に没頭しようとした矢先にバッツが横から声をかけてくる。
「好きな話だから何度読んでも楽しい」
「でも内容とか全部わかってるわけだろ？」
「それでも楽しい」
「あ、読むたびに結末が変わる本とかあったら面白いと思わないか？」
「……面白いけど、どうやって作るのさ」
どうやら読書に集中させてくれそうにない。
まあ、暇つぶしに読書をしているわけだから、バッツと話を続けるのに不都合はない。
「ミドに頼めば作ってくれるんじゃないか？」
「絶対に本じゃないものができて終わりだって」
あとで本当に暇になった時にでも読めばいいや、と本をベッドの脇へ放り投げる。
「……読まないのか？」
「あとで読むからいいよ」
「クルルがああいう恋愛ものが好きなのはちょっと意外だった」
「たまにはね」
そういうのとは無縁の行動しか取らないのが目の前にいるんだから、憧れるくらいいいじゃん。
と、心の声。
「王子様と結ばれるのが夢なのか」
「……私が王女だし、むしろ逆じゃない？」
「ほう、一般人が良いとな」
「ずっと王宮でしか過ごしたこと無い人よりはずっとね」
例えば誰とか言わないけど。
「城に引きこもってたんじゃ出会いもなさそうだけどな」
「引きこもってないじゃん。ちょくちょく抜け出……たまに出てるでしょ」
ついうっかり出そうになった言葉は、別に城の者がいないこの場では問題ないはずだった。
しかし言い直してしまったことが、逆に自らの首を絞める事になってしまう。
「ほほう、俺とあちこち飛び回ってたのは実は婿探しだったのか」
「違……っていうか、それは……」
バッツはただ冷やかすだけのつもりだったが、それを耳ざとく聞きとがめた人物がいた。
「へぇ、ここのところバッツはクルルを連れ出してたんだ」
「ああ、頼まれててさ。城の中にずっといたんじゃ息が詰まるって」
姉妹の会話から離れてこちらに近づいてきたレナに、バッツは平然と答える。
一方、何も気づかない鈍感王のバッツとは対照的に、冷静に振舞おうとしながら動揺を見せるクルル。
「そ、そろそろ本格的に国のこととか考えなきゃいけないから、ちょっと息抜きをね……」
ここで言い訳をしたり動揺したりしたら、やましいことがあるのを認めるようなものだ。
が、知らん振りをしていられるほどクルルの肝は据わっていない。
「最近タイクーンにあんまり顔を見せなかったと思ったら、クルルと遊びまわってたのね」
「そうだなー、結構あちこち飛び回ってたな」
レナの言葉に潜むトゲも、気づかなければ効果はない。
だから言葉を返している当人よりも、クルルの方が気が気でならなかった。
「時々だよ、時々」
「時々〜？ ここのところしょっちゅうじゃん。
一回の外出の日数もだんだん伸びてるし。大臣はあんま心配してないみたいだけど」
バカ、と叫んで後頭部を蹴り倒せたらどんなにすっきりするだろう。悪意がない分、この上なく性質が悪い。
「ふーん、そうだったんだ」
「あの、天気が悪くなる前にできるだけ遊んでおこうかなーって……」
「別に言い訳はしなくていいわよ？」
にっこりと笑うその表情とは裏腹なプレッシャーにクルルは気圧される。
こんな間近にいるのに、なんでバッツは気づかないんだろうと不思議に思うほどに。
「い、言い訳じゃないよ。理由の説明というか、誤解を解いておこうというか」
「誤解ってなにかしら？」
じわじわと追い詰められているのがわかっても、逃れる術は見つからなかった。
いっそ一思いにやって欲しいとも思うが、それはそれで怖い。
「大丈夫だろ。外出は大臣にもバレてるんだし、レナだって告げ口なんてしないって」
そういうことじゃないんだよ、と心の中で何度目かのツッコミを入れる。
勘が働きすぎる人間は扱いにくいというが、ここまで鈍いのも考えものである。
「そうね、ちょうどいい機会だし、たまには二人で話をしましょうか」
「私、この本を読むので忙しいから……」
言って、逃げるようにさっき放り投げた本に手を伸ばすが、寸前でひょいと奪い取られる。
奪い取ったのはもちろん、状況を全く把握していないバッツだ。
「レナの言うとおり、なかなかこんな機会もないだろ。
俺も席を外すから、たまには二人でゆっくり話でもしろよ」
「ちょ……」
「ほら、王女としての話とか、女同士の話とか、こんな時じゃないと話せないだろ？」
なんでそんなことには気が回るくせに肝心なことには一切気づかないのさ！
と、心の中で本日最大級となるツッコミを入れるも状況は変わらず。
「それは次の機会で……」
「ありがと、バッツ」
なおも食い下がるクルルの声を強引に遮り、レナは笑顔を向けてバッツに手を振っている。
もっとも、内心どう思っているのかは――当のバッツ以外はわかりすぎるくらいわかっていた。
「……私よりバッツに話があるんじゃないの？」
「それは今度でいいわ。長くなりそうだし」
言葉に潜む黒い感情がひしひしと感じられ、ただで済みそうにない気配がさらに濃くなった。
こうなったら最後の抵抗だと、クルルは一縷の望みをかけて部屋に残っているはずのファリスの姿を探す。
こういう時にはおよそ役に立ったことはないけれど、いないよりはマシだろう。
「あれ？」
「姉さんならお酒飲みに下に行ったわよ」
「な、なんでこのタイミングで……」
「私がOK出したから」
退路は完全に断たれた。敵は倒せる相手ではない。
「さあ、つもる話を始めましょうか」
「あはは、お手柔らかにぃ……」
これも将来に向けてクリアしなきゃいけない壁の一つなんだよね、とため息をつきつつ。
これから繰り広げられるレナとの長い長い話し合いに向けて、クルルは覚悟を決めた。
―おしまい―